武田氏滅亡 平山優

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はじめに

武田信玄の後継者勝頼は、天正十年(一五八二)三月十一日、織田信長・徳川家康・北条氏政の侵攻を受け滅亡した。戦国史に多大な影響を与え続けてきた大国武田氏は、なぜ滅亡したのか。それを解き明かすことは、容易ではない。今日でも、勝頼個人の資質に原因を求める見方が多数を占める現状にあって、私はその要因を多面的に検討することを意図している。長篠合戦後、勝頼は幾多の努力を重ねて、武田氏の復興に向けて動き出し、多くの成果を収めていた。だがそれは、天正六年三月の上杉謙信急死を境に暗転していく。御館の乱という上杉家の内紛、それに対処すべく動いた勝頼と北条氏政、そして自らの存立を賭けて独自の動きを示す越後、北信濃、上野国の国衆たち、これらが複雑に絡み合って、甲相同盟は破綻を迎える。そればかりか北条氏政は、勝頼打倒を目指して、信長・家康に接近し、武田包囲網形成を図る。こうした危機的な状況下で、勝頼は武田氏の存亡をかけて、新たな動きを始めることとなった。それが武田氏の命運に、どのように影響を及ぼしたか。物語は、いよいよ天正八年に突入する。武田氏滅亡まで、あと二年を残すのみとなった。

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